塩川論説

公開:2026/10/07

「問題はない」と言ったのは誰か — 後ろめたさのない品質不正が止まらない理由

「問題はない」と言ったのは誰か — 後ろめたさのない品質不正が止まらない理由

実務の研修や通報窓口は、後ろめたさを抱えた人を想定して設計されがちだ。一線を越えたと感じている人なら、研修で良心に訴えれば思いとどまり、窓口があれば迷いを打ち明けてくれる。そういう前提である。不正のトライアングルの「正当化」を説明する場でも、「やむを得なかった」という言い訳が例に挙がりやすい。

だが品質や検査、データの不正をめぐる調査報告書を読むと、別の言葉が繰り返し出てくる。報告書の記述を要約すれば、結果や安全性に問題はないのだから手続を省いてよい、という確信である。この「問題はない」は、本来なら手続を通じて第三者が下すはずの判定を、当事者が自分で下してしまった言葉だ。

後ろめたさを伴わなければ、本人の内側ではブレーキがかからない。しかもこの確信は、個人の言い訳にとどまらず、集団の確信となり、組織の見解として通ってしまうことがある。この確信はどこから生まれ、なぜ組織の誰も止められないのか。そして組織はそれをどう扱えばよいのだろうか。

「この程度であれば問題ない」— 業種の違う2つの報告書が、似た論理を原因に置いた

2026年9月、業種の異なる2社の調査報告書が相次いで公表された。読み比べると、どちらの原因分析にも似た論理が出てくる。

ある電力会社の原子力部門について、第三者委員会の報告書は、規制当局の審査に用いる評価をめぐり、当局への説明と異なる方法による評価や事後的な証跡の作出が、10年以上にわたって続いていたと認定した。委員会は、社内の発言ややりとりに「安全性には影響がない」「技術的には正しい」といった、自らの行為を正当化する言葉が随所に見られたと指摘し、これを「独自の正当化理論」と名付けて、事案に通底する原因と位置づけた(報告書p.222〜223「(1)『独自の正当化理論』の存在」より)。

ある電機メーカーの品質不適切行為でも、調査委員会の報告書は近い形の論理を見出している。顧客の承認を得ない仕様の変更や試験の未実施が続いていた事案である。委員会は、その多くが直接的な自己利益を目的としていなかったとしたうえで、業績やコスト、納期の重圧のなかで「やむを得ない」あるいは「この程度であれば問題ない」として始まり、その判断が積み重なって継続したと書いた(報告書p.79「1『不健全な状態』への着目」より)。また、複数の事案で、機能や安全性に問題はないという社内の評価が、顧客への通知や承認を省く根拠にされたとも指摘している(同p.99)。

電力会社の報告書電機メーカーの報告書
「問題はない」の判定     「安全性には影響がない」「技術的には誤りではない」とする発言や供述「製品の機能又は安全性に問題はないとの社内の技術的評価」(複数の事案)
それを根拠に省いたもの      審査で重要とされる「結果に至る検討及び判断の過程等の説明及び検証」「顧客への通知又は承認」、顧客が指定した試験
考え方の広がり (推認)「属人的なものにとどまらず」、社内の一定の集団で共有「個別事案の関係者に限らず」、一定の広がり
原因分析での位置「本事案に通底する原因」拠点レベルの要因の一つ。中心は業績目標の圧力

※ かぎ括弧内は、電力会社の報告書p.222〜227、電機メーカーの報告書p.99からの引用。

電力と電機とでは、扱う技術も組織の規模も違う。それでも、2つの報告書が原因に置いた論理は似た形をしている。業種の気質というより、専門性の高い現場に通じる型だろう。

言い訳ではなく確信 — 後ろめたさのない正当化には、ブレーキがかからない

実務の対策が思い描きがちな正当化は、自分が悪いことをしていると感じている人の言い訳である。後ろめたさがあるから、人は迷い、ためらい、ときに誰かへ漏らす。その揺らぎが、周囲の気づきや通報の端緒になることがある。

以前、なぜ不正は起きて、なぜ見過ごされるのかで、「前任者もやっていた」という同調と責任の分散による正当化を論じた。あちらは後ろめたさを周囲と分け合う型である。本稿で扱う正当化は質が違う。電力会社の報告書が描いた当事者は、手続から外れていることを承知しながら、後ろめたさを抱くことなく、それでも自分は正しいと信じている。

委員会は、後ろめたさを感じつつやむにやまれず行ったという、不祥事によく見られる構造で本件を説明するのは拙速だと述べた(電力会社の報告書p.223)。一部の当事者は「自分たちは正しいことをしている」と考え、確信、ひいては信念すら持って行為に及んでいたと見受けられる、というのである。委員会は、その確信を支えた考え方を2つ挙げている。1つは「独自の合理性」で、目的の大切さと規則を守ることを自分たちの判断で比べ、目的を優先してしまう考え方である。もう1つは「独自の正義感」で、自分たちの使命の邪魔になる指摘を、ためらいなく退ける考え方である。

報告書に記された当事者の供述は、技術者として筋が通って聞こえる。問われるべきは途中の過程の適否より、最終的な結果が妥当かどうかである。どの計算結果も数学的には正解なのだから、技術的に誤りはない。そうした趣旨の認識が語られていた。ここに、言い訳ではなく確信と呼ぶべき正当化の姿がある。

電機メーカーの報告書は、不適切行為が「やむを得ない」あるいは「この程度であれば問題ない」として始まったと書く。報告書自身はこの2つを区別しておらず、後ろめたさがなかったと認定したわけでもない。それでも筆者には、2つは別の種類の言葉に聞こえる。「やむを得ない」は、悪いと知りながら自分を許す言い訳である。「この程度であれば問題ない」は、自分で下した合格判定である。前者は自分を許し、後者は自分に許可を出す。

専門性が高いほど、「結果は正しい」という判断には実際に根拠がある。その判断は職業上の誇りとも結びついている。だから手放しにくく、後ろめたさも生まれない。迷いがなければ、それが外へ漏れ出すこともない。

「問題はない」と判定したのは誰か — 手続を飛ばした瞬間、検証する人がいなくなる

電力会社の委員会は、当事者の論理に正面から反論している。審査では結果としての安全性だけでなく、そこに至る検討と判断の過程を説明し、検証を受けることも同様に重要だという反論である。手続とは、結果の正しさを他人が確かめられるようにする装置だと言える。電機メーカーの事案で飛ばされた顧客の承認も、同じ構造をしている。承認とは、顧客が自分で製品を判定する権利である。

手続を飛ばすと、判定する人が第三者から当事者自身へすり替わる。自分の仕事を自分で検証し、自分で合格を出している状態である。こうなった時点で「問題はない」は、手続を省いた側のための言葉になる。表題の問いへの答えはここにある。「問題はない」と言ったのは当事者自身であり、そう言えてしまった大きな理由は、判定するはずの第三者が手続ごと外されていたことにある。

外部の検証者の見え方も変わる。電力会社では、規制当局の指摘が社内で「非現実的・非科学的で不合理」と受け止められていた(同p.224)。中身を最もよく知る側から見れば、検証者の要求が分かっていない相手の注文に映るのは無理もない。だからこそ、正当化はかえって強まりうる。審査の側も事業者の誠実さを前提にしていたため、社内には発覚しにくいという認識が生まれていた。

社内に止める人がいれば、事態は違ったかもしれない。だが専門性の壁の前では、止める側も中身に踏み込めなかった。評価手法を理解していたのは前線部署のごく一部で、決裁ラインの幹部にも少なく、経営層にはほぼいなかった。通報も複数寄せられていたが、通報の受け手は問題点を理解できず、調査を当事者部署に委ねた。

異論を唱えた専門家もいた。規制側の立場から点検する社内の専門家が繰り返し指摘したものの採用されず、その専門家は前線部署の部長の部下という位置づけだった。異議を唱えた人に強い批判が向けられたやりとりもあった。電機メーカーでは、品質保証に携わる担当者の中に諦めを感じていた者もいたとされる。別の業種でも、設備点検会社の事案で、懸念を持つ従業員は通常のレポートラインで相談できなかった。牽制を担うはずの機能が、牽制される側のレポートラインの内側に置かれる危うさは、内部監査部門は誰の味方かでも触れた。

確信は本人の内側で止まらず、社内の検証者は中身が分からないか、独立していない。こうして「問題はない」は、誰も確かめないまま、組織の見解として通ってしまう。

「誰が、どの手続で確かめたのか」を問える組織にする

導入で触れた研修や通報窓口は、迷っている人を想定した仕組みである。迷いのない確信には、別の入口が要る。電機メーカーの委員会が書いたとおり、関与者を処分するだけでは是正できない。組織の側に、外から問える形を用意しておく必要がある。

第一に、手続の目的を言い直すことである。手続は、結果の正しさを第三者が確かめられるようにするためにある。この目的を、組織の言葉としてあらためて共有しておきたい。技術者に「ルールを守れ」と言うより、「その正しさを、他人が確かめられる形にしてほしい」と頼むほうが届く。

第二に、問い方を変えることである。経営層や監査役、社外取締役が「問題はないのか」と尋ねれば、「問題はない」と返ってくる。問うべきは、誰が、どの手続で確かめたのか。省いた手続はあるか。省くと決めたのは誰で、誰が承認したのか。技術の中身が分からなくても、手続の有無と承認者は問える。

第三に、異論を唱える専門家と調査の主体を独立させることである。独立していても中身が分からなければ止められず、中身が分かっても独立していなければ退けられる。電力会社では、通報の受け手は中身が分からず、社内の専門家は独立していなかった。品質保証や社内の点検役は、点検される部署のレポートラインから外す。通報を受けたら当事者部署には調査させず、専門性が要るなら社外を含む別の専門家を入れる。異論は記録に残し、退けるならその理由も残す。異論を唱えた一人の勇気に頼らず、牽制が働く形にしておきたい。

第四に、兆候を外から拾うことである。組織はセンサーを外側に置くしかない。見るべきは手続の痕跡だ。承認の省略や例外処理の積み重ね、事後に整えられた記録、異論が出て退けられた経過、そして品質保証の声が上がらなくなっていく変化である。電機メーカーの報告書に記された「諦め」は、声が消えたあとに残る兆候と言える。

技術者の誇りを、確かめられる形で守る

現場の「結果は正しい」という感覚の多くは、おそらく本当に正しい。ただ、その正しさが顧客と社会に対して意味を持つのは、他人が確かめられたときである。問題になるのは、確かめる手段が当事者の手元にしか残らなくなることだ。

手続は、技術者の誇りを他人に証明できる形で守る器である。異論を唱えた技術者が退けられずに済み、「結果は正しい」と言う技術者がその正しさを手続で示せる組織は、その両方の背中を支えている。

「問題はない」と報告されたら、次に「誰が、どの手続で確かめたのか」と問う。後ろめたさのない不正に歯止めをかけるのは、本人の良心ではなく、その問いを当たり前にした組織である。

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