塩川論説

公開:2026/11/04

なぜ不正の予防には予算がつかないのか — 起きてから払う費用が見えない理由

なぜ不正の予防には予算がつかないのか — 起きてから払う費用が見えない理由

塩川 晃平 塩川 晃平

不正は、起きてから払うほうが高くつく。この言い分に正面から反対する経営者はいないだろう。それでも、コンプライアンス部門や内部監査の人員、通報窓口の運営といった予防と早期発見のための予算は、何も起きていない会社が新しく取ろうとしても通りにくい。稟議や予算の要求の場で、「起きていないのに、なぜ今それが要るのか」と問われるからである。誰もが正しいと認める考え方が、予算の場面ではなぜか通らない。

この矛盾の原因は経営者の意識の低さにあるのではない。予防にかかる費用と、不正が起きた後にかかる費用が、同じ物差しで並べられていないことにある。

200億円を超える調査費用 — 不正の額と対応の額は別物

産業用電子機器メーカーの会計不正をめぐって旧役員の責任を調べた役員責任調査委員会は、2025年8月から2026年8月までの1年間に会社が負担した調査費用を約222億円と示している。

監査の費用も膨らんだ。2026年3月期の有価証券報告書によれば、監査法人に支払った監査証明業務の報酬は、前期の約9.8億円から約76億円へと、約7.8倍になっている。同報告書は、調査や決算対応のために計上した費用について「最終的な計上額は増加する見込み」と書いている。

注目したいのは、役員責任調査委員会がこの不正について「利益が流出したというものではない」と書いたうえで、損害として調査費用などを挙げている点である。利益を水増しする不正は帳簿の上で数字を動かすもので、それ自体で会社の外へ現金が出ていくわけではない。これに対して発覚後の対応にかかる費用は、弁護士や会計士、フォレンジックの専門業者への支払いとして、現金で会社の外へ出ていく。不正の額と対応の額は別物で、後者は確実に会社の手元から減っていく実費である。

特別損失の一行に載らない費用 — 経営の時間と、続いていく作り直し

不正の費用は、決算書に載る金額で終わらない。調査委員会の報告書が出た後にも、決算の訂正、再発防止策の策定、取引所や株主への説明が続く。

先の事例では、決算書類の提出の遅れが続き、2025年10月には内部管理体制の改善が必要だとして取引所から特別注意銘柄に指定された。2026年10月末の時点でも、過年度の決算の訂正報告書は提出に至っておらず、調査と決算の対応は1年以上続いている。

不正調査の現場で筆者が見てきたのは、調査が始まると現場にとって調査が最優先の仕事になり、日常の業務はその次に回されるという姿である。経営層もまた、週次などの定例会で上がってくる進捗の報告に時間を取られる。しかも調査では、多くの場合、想定外のことが起きる。想定していた場所とは別のところから、想定していなかった不正が見つかるのである。そうなれば調査の範囲は広がり、期間は延び、経営は決算の発表を延期するかどうかといった判断を重ねていくことになる。攻めの経営判断に向けるはずの時間と注意が、こうした後ろ向きの判断に取られていく。この費用は、どの勘定科目にも載らない。

評判の費用も軽くない。不祥事のコストというと、課徴金や罰金、訴訟の費用を思い浮かべがちである。だが、米国で財務報告の不正により摘発された企業を調べたカーポフらの2008年の研究によれば、そうした法律・規制上の制裁よりはるかに大きいのは、信用を失ったことによる損失である。顧客が離れ、取引先や資金の出し手が条件を厳しくし、将来の稼ぎが目減りする。その損失は、法的な制裁の合計の7.5倍を超えていた。

株価に限って見ると、国内の不正会計430件を分析した尾関規正氏の2018年の研究では、下落は発覚後の短期にとどまり、長期にわたる有意な下落は確認されなかった。ただ同じ研究で、開示の後に監査報酬が増え、経営者が交代し、社外取締役の比率が上がることも確かめられている。株価の面では下落が短期でも、組織の側には負担が残る。

なぜ予防には予算がつかないのか — 費用の見え方の非対称

筆者は仕事柄、企業の担当者と不正予防の仕組みについて話す機会が多い。そこで感じるのは、予防にどれだけの費用を割くべきかは、過去に不正を経験した会社、とりわけ対応にあたった当事者には身に染みて分かっているということである。だが、その経験のない人に必要性を説くのは、なかなか難しい。

新しく予防の仕組みを入れる提案では、コンプライアンス部門や内部監査の人件費、通報窓口の運営費は、稟議書に金額で書ける。人を置けば毎年かかり続けることも、誰の目にも明らかである。一方で、それが防ぐはずの損失は、いつ、どれだけ生じるのか、そのままでは稟議書に書きようがない。しかも予防は、うまくいくほど何も起きないという形でしか現れない。米国の経営学者レペニングとスターマンは2001年の論文に「起きなかった問題を直しても、誰も評価されない」という趣旨の題を付け、目先の成果を求められる組織で改善や予防の作業が削られ、組織の能力が落ちていく過程を論じた。二人はこの構造を「能力の罠」と呼んだ。扱われたのは工程の改善だが、予防の予算にも同じ力学が働いていると筆者は見ている。

では事後の費用はどうか。発覚後の調査費用は、特殊な年の一過性の支出として扱われ、翌期以降の予算を組むときに予防の費用と並べて比べられることがない。しかも他社が払った調査費用は、決算書を読んでも分からないことが多い。筆者が携わる NaLaLys の不祥事データベースで確認できた案件のうち、調査関連費用を区分して開示していたのは44%にとどまり、残りは「その他」などの科目に紛れている。比べようにも、比べる相手の金額が見えないのである。

一度払った会社は、予防と事後の費用を比べる物差しを経験で持っている。持たない会社は、意識して作るしかない。

予防と早期発見の予算を、事後の費用と並べて載せる

では、まだ払っていない会社は物差しをどう作ればよいか。手がかりになるのは、同じような会社が実際に払った額である。同データベースで、上場会社が決算書類に区分して開示した調査関連費用を集計すると、中央値は約1.8億円、上側の四分位は約3.1億円になる。4件に1件は3億円を超える計算である。予算を要求する側は、この額を比較の材料として稟議書に添えられる。

米国の大規模な上場企業を対象にしたDyckらの2024年の研究は、企業の不正のうち発覚に至るのは3件に1件程度と推定している。日本取引所自主規制法人が2018年に公表した「上場会社における不祥事予防のプリンシプル」の原則4の解説は、どのような会社であっても不正の芽は常に存在しているという前提に立つべきだとし、重要なのは不正を芽のうちに摘み、迅速に対処することだと続けている。そうであれば、問うべきは起きるかどうかより、いつ、どの大きさで見つかるかだと筆者は考える。尾関氏の研究が示すとおり、不正の発覚の後には統治の見直しが続きやすい。

投資の焦点は、発見までの期間に置きたい。不正調査の実務では、費用は調査の範囲に大きく左右される。範囲には二つの軸がある。一つはどこまで過去に遡るか、もう一つは誰まで調べるかである。関与した者から、その上長、さらに役員へと対象が広がれば、ヒアリングの数も、保全して解析するデータの量も増える。先の事例では、子会社の一件から始まった調査が、最後には旧役員の責任を調べる委員会にまで至った。発見が遅れるほど遡る期間は長くなり、関わる人が増えれば調べる相手も広がる。早期発見は、将来の調査の範囲を縮めるための投資と言える。

不正そのものの損失も、発見までの期間とともに膨らむ。ACFE(公認不正検査士協会)の2026年版の報告では、発覚まで6か月以内だった不正の損失の中央値が4万ドルだったのに対し、5年を超えた不正では約112万ドルに達した。発覚が1〜6か月遅れただけでも、中央値は10万ドルと2倍を超える。どうすれば発見を早められるかについては、以前本コラムで、通報や事後の調査を待たずに業務のプロセスそのものを観測の対象にする考え方を論じた(内部通報と事後調査だけでは遅い)。

早く見つけることの意味は、調査や損失の額を抑えることにとどまらない。不正が小さいうちに見つかれば、大きな問題になる前に手を打てる。先に見たとおり、不祥事の費用は決算書に載る金額で終わらない。経営の時間と注意は後ろ向きの判断に取られる。信用を失ったことによる損失は、法的な制裁よりはるかに大きい。こうした費用はどの勘定科目にも載らず、一度生じれば後から取り戻すのも難しい。早期発見は、決算書に載る費用だけでなく、この見えない費用を抑えるための投資でもある。

では、予防の成果は何で測るのか。不正が起きなかったことでは測れない。先に見たとおり、不正の芽はどの会社にもあり、仕組みが働いていても件数がゼロになるわけではないからである。仕組みが働いているかどうかは、むしろ見つかり方に現れる。当局や監査人、報道から指摘される前に、社内の仕組みで見つけられたか。見つかるまでに、どれだけの時間がかかったか。この二つなら数えられる。期間が短いほど損失も調査の範囲も小さくなり、決算書に載らない費用も小さくて済む。

予防の費用の横に、事後の費用を並べる

不正が発覚した後に会社が払う費用は、時期も規模も、会社の側では選べない。だが、同じような会社が払った額を手がかりにすれば、その見込み額を稟議書に書くことはできる。まだ一度も払っていない会社でも、予算を要求する側が次の稟議でその見込み額を予防の費用の横に載せ、承認する側がその数字を一過性の費用として脇に置かずに読めば、払った会社と同じ物差しを持てる。

予防の予算を通すには、予防にかかる費用の横に、不正が見つかったときに払う費用を並べることから始めたい。

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