2026/04/07
コラム
監査役等の「沈黙」はなぜ起きるのか
目次
監査役等が直面する「構造的な難しさ」
監査役等には、財務・会計・法務に関する知見や、不正の兆候を捉える視点が重要であることは言うまでもない。コーポレートガバナンス・コードも、監査役には適切な経験・能力に加えて、財務・会計・法務に関する知識が求められることを明示している。
もっとも、そうした専門性を備えた役員がいてもなお、不正の兆候が十分に拾われず、結果として企業価値の毀損に至る事例は生じうる。監査役等の実効性は、知識や経験だけでなく、情報入手の仕組みや支援体制の有無にも大きく左右される。
なぜ、「知っている、あるいは気づいているのに動けない」という事態が起きるのか。
筆者は、この現象は個人の資質やスキル不足だけでは説明しきれないと考える。むしろ、有事の際に監査役等が行動を起こすためのコストや心理的ハードルが高く、制度的な後ろ盾も十分でないという構造要因が、実務上見落とされがちなのではないか。監査役等に求められるのは能動的な情報入手であり、同時に会社には、その役割・責務を実効的に果たすための支援体制の整備が求められている。
筆者はかつて、大手監査法人やアドバイザリーファームで企業不正調査に携わり、その後、事業会社の経営企画部長として、自ら不正の当事者性を持つ立場にも置かれた。この経験はあくまで一事例にすぎないが、監査役等が機能する条件を考えるうえで、個人の覚悟だけでは埋められない制度上の課題を示唆しているように思われる。
本稿では、その経験を手がかりに、監査役等が属人的な勇気に依存せず機能するための情報設計と支援体制を考えたい。
なぜ「正当化」が起きるのか
筆者が直面したのは、典型的な架空循環取引を疑わせる事象であった。異常な利益率や実態の乏しい取引先など、不自然な徴候は複数存在しており、本来であれば速やかな事実確認と是正の要否を検討すべき局面であった。監査役等の職務もまた、こうした違法・不当な業務執行の兆候に対し、必要に応じて調査権限を行使し、監査結果の判断材料を集めることにある。
しかし、そのとき筆者を支配したのは正義感ではなく、強い現状維持バイアスだった。告発によって会社が大きく揺らぐことへの恐怖や、自身のキャリアへの影響への不安が重なり、「自分の認識が誤っているのではないか」「これは業界慣行の範囲なのではないか」と、状況を正当化しようとする心理が働いた。
こうした正当化の心理は、不正実行者だけでなく、監視する側にも作用しうる。監査役等もまた組織のエコシステムの中にあり、日常的に接する経営陣との関係性を損なうことなく異を唱えるのは、心理的に容易ではない。
そのため、個人の倫理観や専門知識だけに依拠するのではなく、独立性を支える情報経路や支援体制を組み合わせてはじめて、異常を異常として扱いやすくなる。監査役監査の実効性確保の観点からも、監査役スタッフや内部監査部門との連携、情報収集を支える体制整備の重要性が指摘されている。
「知らなかった」という説明が持つ限界
企業不正が発覚した後、監査役等の法的責任が直ちに認められるとは限らない。実際には、違法行為を疑わせる具体的な端緒があったか、監査役等がそれを知り得たか、必要な調査を尽くしたかといった事情によって評価は分かれる。裁判例上も、監査役が積極的に調査義務を負うかどうかは、違法な業務執行を疑わせる具体的事情の有無と、その認識可能性が重要な要素とされている。
他方で、資本市場やステークホルダーの目線はそれとは別に厳格化している。法的責任が直ちに成立しない場合であっても、「なぜ見抜けなかったのか」「なぜ知ろうとしなかったのか」という問いは避けにくい。近年のガバナンス実務では、監査役等には単に受動的に報告を受けるだけでなく、能動的に情報を入手し、必要な支援体制を確保することが期待されている。
問題は、「知らなかった」という結果が、少なくとも事後的な説明において一定の防御材料として扱われやすい点にある。もし“知らないこと”の方が、積極的に知りにいくことよりも安全だと受け止められるなら、現場の一次情報を取りに行くインセンティブは弱まりやすい。
これからのガバナンスでより重視されるのは、「報告を待つ」姿勢からの脱却である。経営陣によって加工された二次情報のみに依存するのではなく、監査役等が一次情報にアクセスしうるルートを持っているか、内部監査部門や通報窓口等との接続が設計されているかが、実効性の観点から問われる。コーポレートガバナンス・コードも、監査役による能動的な情報入手と、会社による支援体制整備を求めている。
「縦」のラインが詰まるとき、「斜め」のラインは機能するか
組織の指揮命令系統は通常「縦」に流れるが、経営トップや部門長が問題に関与している場合、そのラインは容易に機能不全に陥る。経営陣不正への対応では、執行ラインのみを前提とした情報伝達や調査指示では限界がある。近時のガバナンス実務でも、経営陣幹部不正を念頭に、内部監査部門が取締役会や監査役会へ直接報告しうる仕組みの重要性が指摘されている。
このような有事において、現場の従業員にとって有力なセーフティネットの一つとなるのが、社内のしがらみから相対的に距離を置いた社外監査役・監査等委員や、経営陣を経由しない内部監査・通報ルートである。縦のラインが詰まったときに機能する“斜めのライン”を複線的に持つことが重要になる。公益通報者保護法も、内部通報だけでなく、一定の場合には行政機関や第三者への通報も保護の枠組みに含めており、単線的な窓口設計では不十分であることを示唆している。
もっとも、窓口を設けるだけでは足りない。現場から見れば、普段接点のない社外役員は「近寄りがたい存在」に映りやすく、通報後の不利益や握りつぶしへの不安も大きい。そのため、監査役等は「待っていれば情報が上がる」という発想を捨て、動画メッセージや社内説明の場などを通じて、通報者情報は必要最小限の範囲でのみ取り扱い、報復防止を含む守秘を徹底するという姿勢を継続的に示す必要がある。公益通報者保護法に基づく指針も、対応業務従事者の指定や適切な体制整備を事業者に求めており、通報者の信頼に耐える運用が不可欠である。
関連コラム:内部通報制度は“ある”だけでは不十分:「沈黙」を防ぐための制度設計 | NaLaLys
内部通報だけに依存しないための補助線
監査役等が情報を得る手段としての内部通報制度には、構造的な難しさもある。通報者は、初回から決定的な証拠を提示するとは限らず、むしろ曖昧な相談や「軽いジャブ」のような反応確認から入り、相手の対応を見極めようとすることが多い。
内部通報制度を機能させるには、通報者の不安に寄り添う対応が不可欠である。他方で、現行法制も、公益通報対応業務従事者の指定や体制整備を事業者に求めており、制度そのものは属人性を下げる方向に進んでいる。なお課題として残りやすいのは、担当者依存、独立性不足、通報者からの信頼不足といった“運用の質”である。
ここで監査役等の情報入手を補完しうるのが、AI等を活用したコミュニケーション分析である。メールやチャット等のデータから、通常とは異なるやり取りや不自然な調整の兆候を横断的に把握することで、従来は個別通報や偶然の気づきに依存しがちだった異常の端緒を、より早い段階で捉えやすくなる。内部通報だけでは届きにくい領域に対して、客観的な補助線を引ける点に、こうした技術の実務的意義がある。
他方で、AIは監査役等の判断を代替するものではなく、最終的な評価には人による検証が不可欠である。そのため、こうした技術は“結論を出す装置”というより、初動の優先順位付けや見落とし防止を支える補助線として位置付けるのが適切だろう。
導入に当たっては、利用目的の明確化や個人情報保護等のルール整備が前提となるが、適切に設計されれば、内部通報や往査だけでは届きにくい領域を補う有力な手段になりうる。
最大の障壁は、予算そのものより「初動を動かす仕組み」の欠如である
情報を入手した後、監査役等が実際に行動に移す局面でしばしば問題となるのが、予算執行と専門家アクセスの機動性である。会社法上、監査役には職務執行に必要な費用の前払や償還を請求する権利が認められており、会社はその費用が職務執行に必要でないことを証明しない限り拒むことができない。したがって、法的権利そのものが欠けているわけではない。
しかし実務上は、初動調査に必要な支出を迅速に行う手順が明確でない企業も少なくない。その結果、調査対象となりうる経営陣の理解や事務処理を経由せざるを得ず、独立性や初動の迅速性が損なわれることがある。監査役監査の実効性確保には、単に費用請求権があるというだけでなく、いざというときに外部の専門家へ適切に接続できる支援体制が重要である。コーポレートガバナンス・コードも、監査役が必要と考える場合には会社の費用で外部専門家の助言を得ることを考慮すべきとしている。
監査役等の実効性を支えるのは、精神論ではなく、具体的な行動インフラである。例えば、監査役等が機動的に利用できる予備調査費用枠をあらかじめ整理しておくこと、経営陣関与の疑い・証拠隠滅のおそれその他独立性確保が必要な場合には、一定の範囲で外部の弁護士やフォレンジック専門家に初動支援を依頼できる手順を定めておくことは、有効な選択肢となりうる。監査役が会社の顧問弁護士とは別の法務専門家と連携できる余地を持つことの意義も、実務上強く指摘されている。重要なのは、「必要なときに独立した支援がすぐ動く」という制度上の確実性を、平時から設計しておくことである。
英雄に頼らないために
本稿では、筆者の実体験を手がかりに、監査役等が機能不全に陥りうる構造的要因と、その改善の方向性を論じてきた。
最も強調したいのは、不正への対峙を個人の正義感や勇気といった不確実な要素に依存させてはならない、という点である。個人の覚悟は最後の一押しにはなりうるが、それを前提にしたガバナンスは再現性に乏しく、継続的な実効性を期待しにくい。
監査役等の実効性とは、英雄的な勇気を持つ個人がいなくても機能する「システムの堅牢性」にほかならない。経営陣をバイパスしうる情報経路、異常兆候を早期に把握する補助的なテクノロジー、そして必要時に外部専門家へ迅速に接続できる予算・手順。これらを属人的な工夫ではなく、制度として実装することは、監査役等の実効性を高めるうえで不可欠な構成要素の一つである。コーポレートガバナンス・コードや監査役実務の議論もまた、能動的な情報入手、支援体制、内部監査との連携、外部専門家活用の重要性を繰り返し示している。
ニュースレーターの配信を行っています。
最新情報のご希望の方はこちらからご登録ください。