2025/07/25
解説
ハラスメント概論-ついこんな言動していませんか?

ハラスメント対策は、今や単なる法令遵守項目の一つではありません。それは従業員のエンゲージメント、生産性、ひいては企業価値そのものを左右する、極めて重要な経営課題です。度重なる法改正への対応に追われながらも、「自社の対策は本当にこれで万全なのだろうか」という見えないリスクへの懸念は、多くの法務・コンプライアンス、人事担当者の皆様が抱える共通の悩みとなっています。
本記事は、そうした皆様の一助となるべく、ハラスメント問題の全体像を整理したものです。ハラスメントの基本定義から、最新の公式調査データが示す国内の実態、そして具体的な防止体制の構築方法や先進企業の事例に至るまで、網羅的に解説します。この記事が、貴社のハラスメント対策を再点検し、より実効性を高める一助となれば幸いです。
ハラスメントとは
「ハラスメント」とは、一般的に「嫌がらせ」を意味し、他者の尊厳を傷つけ、精神的または身体的な苦痛を与える行為全般を指します。職場においては、その行為が意図的であるかどうかにかかわらず、受け手が不快に感じ、就業環境が悪化すればハラスメントに該当する可能性があります。
法律で企業の防止措置が義務付けられている代表的なものとして、主に以下の3つが挙げられます。
パワーハラスメント(パワハラ)
職場におけるパワハラは、以下の3つの要素を全て満たすものと定義されています。
① 優越的な関係を背景とした言動であること:
上司から部下へという典型的な関係だけでなく、専門知識や経験、同僚間の人間関係など、様々な優位性が背景となり得ます。
② 業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動であること:
業務上必要な指導や注意はパワハラにはあたりません。しかし、たとえ指導が目的であっても、人格を否定するような発言や、社会通念に照らして明らかに必要性のない、または過剰な言動は、この要件に該当します。
③ 労働者の就業環境が害されること:
当該言動により、労働者が身体的または精神的に苦痛を感じ、職場環境が不快なものとなったために能力の発揮に重大な支障が生じるなど、看過できない程度の支障が生じることを指します。この判断は、「平均的な労働者の感じ方」を基準とします。
セクシュアルハラスメント(セクハラ)
職場における「性的な言動」によって、他の労働者に不利益を与えたり、就業環境を害したりする行為です。これには、異性間だけでなく同性間での言動も含まれます。セクハラは主に2つの類型に分けられます。
- 対価型: 労働者の意に反する性的な言動に対し、拒否や抵抗をしたことを理由に、解雇、降格、減給などの不利益な扱いを受けるもの。
- 環境型: 性的な言動によって職場の環境が不快なものとなり、働く上で能力の発揮に支障が生じるもの。
妊娠・出産・育児休業等に関するハラスメント(マタハラ・パタハラ)
妊娠・出産したこと、または育児休業等の制度を利用しようとしたこと、あるいは利用したことなどを理由として、上司や同僚が労働者の就業環境を害する言動を行うことを指します。解雇や降格といった不利益な取り扱いを示唆することも含まれます。
多様化するハラスメントの類型
上記の3大ハラスメントに加え、近年では社会の変化に伴い、様々な言動がハラスメントとして問題視されるようになっています。
カスタマーハラスメント(カスハラ):
顧客や取引先といった社外の者から、従業員に対して行われる著しい迷惑行為(暴言、不当な要求、暴力など)を指します。
アルコールハラスメント(アルハラ):
飲酒に絡む嫌がらせ行為で、飲酒の強要や酔った上での迷惑行為などが含まれます。
エイジハラスメント:
年齢を理由とした嫌がらせや差別的な言動を指します。「もう若くないんだから」といった発言や、年齢を理由に重要な仕事から外すといった行為が該当し得ます。
これらの多様なハラスメント行為は、単体で発生するだけでなく、パワハラやセクハラといった要素と複合的に絡み合って発生することもあります。企業は、代表的な類型だけでなく、広範な視点での対策が求められています。
ハラスメント実態調査
国内の職場では、ハラスメントはどの程度発生しているのでしょうか。厚生労働省が令和5年度に実施した大規模な実態調査から、その深刻な現状が浮かび上がります。
参考:令和5年度 厚生労働省委託事業 職場のハラスメントに関する実態調査報告書
相談件数はパワハラが突出、カスハラは増加傾向
過去3年間にハラスメントの相談があったと回答した企業の割合は、「パワーハラスメント」が64.2%と最も高く、次いで「セクシュアルハラスメント」が39.5%、「顧客等からの著しい迷惑行為(カスタマーハラスメント)」が27.9%でした。 相談件数の増減傾向を見ると、カスタマーハラスメントは「増加している」(23.2%)が「減少している」(11.4%)を上回っており、近年特に問題が深刻化していることがうかがえます。
被害を受けても「何もしなかった」が最多
一方で、労働者側の調査を見ると、ハラスメント被害の潜在化という大きな課題が見えてきます。ハラスメントを受けた後の行動として、パワハラ被害者の36.9%、セクハラ被害者の51.7%が「何もしなかった」と回答しており、これが最も多い選択肢となっています。 その理由として最も多く挙げられたのが、「何をしても解決にならないと思ったから」(パワハラで65.6%、セクハラで52.7%)でした。この結果は、多くの被害者が相談や通報をためらい、泣き寝入りしている実態を示唆しています。企業が相談窓口を設置するだけでは不十分で、相談しても不利益を被らず、問題が公正に解決されるという信頼感を醸成することがいかに重要であるかを示しています。
企業側の認識不足も課題
さらに、勤務先がハラスメントの事実を認識していたかという問いに対し、パワハラでは37.1%、セクハラでは23.9%の被害者が「認識していた」と回答したものの、半数以上は「認識していなかった」または「わからない」と回答しています。このデータは、水面下で発生しているハラスメントを企業が十分に把握できていない可能性を示しており、より積極的な実態把握の取り組みが必要であることを物語っています。
こんなことしていませんか?ハラスメントになりえる行動10選
ハラスメントは、行為者に「いじめてやろう」という明確な悪意がなくとも成立します。「指導のつもりだった」「良かれと思って言った」という言動が、相手にとっては深刻な苦痛となり、結果としてハラスメントと認定されるケースは少なくありません。ここでは、特に「うっかり」加害者になってしまいがちな、ハラスメントになりえる行動の具体例を10個紹介します。
他の従業員の面前での厳しい叱責
「指導の一環」や「他の社員への見せしめ」の意図があったとしても、公開の場で大声で威圧的に叱責を繰り返す行為は、相手の人格や尊厳を著しく傷つけ、精神的な攻撃と見なされるパワハラに該当します。指導は、個別に、冷静に行うのが原則です。
「良かれと思って」のキャリアに関する発言
育児休業を取得しようとする部下に対し、「休むとキャリアに響くよ」と助言するケース。本人は心配しているつもりでも、制度利用をためらわせる心理的圧力を与え、マタハラやパタハラと受け取られる可能性があります。
能力を否定するような内容のメールを複数人に送信
「あいつは仕事ができない」といった内容のメールを、本人だけでなく関係者にもCCで送信する行為。業務上の情報共有の範囲を逸脱し、特定の個人の評価を不当に貶める「精神的な攻撃」型のパワハラにあたります。
プライベートに関する執拗な質問
「恋人はいるの?」「週末は何してたの?」といった質問は、コミュニケーションのきっかけのつもりでも、相手が不快に感じればセクハラやプライバシー侵害(個の侵害)になり得ます。特に、執拗に尋ねる行為は問題です。
「男だから」「女だから」といった決めつけ
「女性なんだから、お茶くみくらいやってよ」「男のくせに根性がないな」といった、性別による役割分担を押し付ける発言。個人の能力や意思を無視した差別的な言動であり、ハラスメントに該当します。
達成不可能なノルマを課し、未達成を厳しく責める
新入社員などに対し、十分な教育を行わないまま過大な目標を設定し、結果だけを見て厳しく叱責する行為。「過大な要求」型のパワハラです。成長を促すどころか、心身を疲弊させ、不正行為の温床になるリスクすらあります。
飲み会への参加や飲酒の強要
「付き合いが悪い」などと言って、飲み会への参加を強制したり、その場で飲めない人にお酒を強要したりする行為。アルコールハラスメントにあたり、個人の意思を尊重しないパワハラの一種と見なされます。
意図的に仕事を与えない、簡単な仕事しかさせない
気に入らない従業員を干す目的で、業務から隔離したり、能力に見合わない単純作業ばかりを命じたりする行為。「過小な要求」型のパワハラであり、従業員の働く意欲や尊厳を奪います。
SNS等で執拗に連絡する、酒席に誘う
業務時間外にSNSで私的なメッセージを繰り返し送ったり、一対一での食事や飲みに執拗に誘ったりする行為。相手が断りにくい関係性(上司と部下など)であれば、セクハラやパワハラと受け取られる可能性が高まります。
同僚の制度利用に対する不満を本人に繰り返し言う
育児短時間勤務を利用する同僚に対し、「あなたのせいで仕事が増える」「迷惑だ」などと継続的に発言する行為。制度利用者の就業環境を害するマタハラ(同僚によるもの)に該当します。
これらの例は氷山の一角です。重要なのは、自分の「常識」や「意図」が、必ずしも相手に同じように受け取られるとは限らないと認識することです。
ハラスメントの防止体制
ハラスメントは個人の問題ではなく、組織全体で取り組むべき経営課題です。労働施策総合推進法(通称:パワハラ防止法)により、現在では大企業・中小企業を問わず、すべての事業主に対してハラスメント防止措置を講じることが義務付けられています。実効性のある防止体制を構築するためには、以下のステップが不可欠です。
ステップ1:方針の明確化とトップのコミットメント
まず、経営トップが「ハラスメントは絶対に許さない」という強い決意を、メッセージとして社内外に明確に発信することが全ての出発点となります。その上で、就業規則や服務規律において、ハラスメントの内容、禁止事項、そして違反した場合の懲戒処分を具体的に定めます。この方針を、社内報や研修、ポスター掲示などを通じて全従業員に周知・啓発し、組織全体の規範として浸透させます。
ステップ2:相談・通報体制の整備
被害者が安心して声を上げられる体制の構築は、防止体制の要です。
相談窓口の設置:
人事部やコンプライアンス部門などに、形式的ではない実効性のある相談窓口を設置し、全従業員に周知します。相談担当者には守秘義務を徹底させ、プライバシーが保護されることを明確に伝える必要があります。
多様な相談ルートの確保:
内部の窓口だけでなく、外部の弁護士や専門機関と連携した社外窓口を設けることも有効です。これにより、「社内の人間には相談しにくい」と感じる従業員も利用しやすくなります。
内部通報制度の活用:
匿名での通報を可能にする内部通報制度は、報復を恐れて相談をためらう被害者にとって重要なセーフティネットとなります。
ステップ3:事後の迅速かつ適切な対応
相談や通報があった際に、迅速かつ公正に対応できるプロセスをあらかじめ定めておくことが重要です。
事実関係の確認:
相談者、行為者とされる人物、そして第三者から、予断を挟まずにヒアリングを行い、客観的な事実確認を徹底します。メール等のデジタルデータの保全も重要です。
適切な措置の実施:
事実が確認された場合、就業規則に基づき行為者に対して懲戒処分等の厳正な措置を行います。同時に、被害者のメンタルヘルスケアや、必要に応じて行為者との物理的な距離を確保するための配置転換など、被害者への配慮措置を最優先で実施します。
再発防止策の策定:
個別の事案対応で終わらせず、なぜハラスメントが発生したのかという根本原因を分析し、全社的な再発防止策(研修内容の見直し、管理職への注意喚起、職場環境の改善など)を講じます。
これらの体制を構築し、継続的に見直しを行うことで、ハラスメントの発生を未然に防ぎ、万が一発生した場合でも被害を最小限に食い止める「企業自身の不正行為」としての認識を持つことが求められます。
不正調査の全体像の解説はこちらの記事をご覧ください
実例-あの会社のハラスメント対策5選
ハラスメント対策は、単に規則を設けるだけでなく、各企業の文化や事業特性に合わせた創意工夫が求められます。ここでは、先進的な取り組みを行っている企業の具体的な事例をいくつかご紹介します。
事例1:ユニ・チャーム株式会社 – 独自のチェックリストで「無意識」のパワハラに気づきを促す
世界約80カ国で事業を展開する同社では、企業理念「NOLA & DOLA」(生活者が様々な負担から解放されるよう、心と体を優しくサポートする)の実践がハラスメント対策の基盤です。独自のパワハラ定義を設け、「業務上必要な指導の範囲を超えたいやがらせ行為か」を判断のポイントとしています。特筆すべきは、管理職が自身の行動を客観視するための「パワーハラスメントチェックリスト」の活用です。「部下を立たせたまま説教したことがある」「自分の意見に反論する部下はいない」といった具体的な15項目ほどのリストで、一つでも該当すればパワハラ的要素があると判断。これにより、上司が無意識のうちに行っている可能性のある言動に自ら気づくことを促しています。
参考:「企業理念と寄り添ったパワハラ対策」 ― ユニ・チャーム株式会社
事例2:ソニー銀行株式会社 – 企業理念に基づく対策と全従業員参加の風土醸成
「フェアであること」「自由闊達で愉快な業務環境」という企業理念に基づき、ハラスメントを経営上の「人的リスク」と定義。派遣労働者を含む全従業員に「コンプライアンス・ハンドブック」を配布し、「ハラスメントに繋がる行為は行わないのはもちろん、他人が行うことも容認しません」という方針を徹底しています。また、外部専門会社による匿名アンケート「職場の健康診断」を継続的に実施し、実態把握と課題の可視化に努めています。アンケート後には必ず研修を行い、結果をフィードバックすることで、全従業員が「自分ごと」として捉える文化を醸成しています。
参考:「企業理念と結びついたハラスメント対策」 ― ソニー銀行株式会社
事例3:リンテック株式会社 – CSR活動と一体化した多角的な啓発活動
同社は、社是「至誠と創造」をCSRの精神そのものと捉え、事業戦略と一体でコンプライアンスを推進しています。2008年に発行した『行動規範ガイドライン』ではハラスメント禁止を明記し、日本語だけでなく英語、中国語など計6言語で全従業員に配布。また、年1回発行の小冊子『リンテックりんりかわら版』でハラスメントを題材にした社内川柳コンテストの受賞作を掲載するなど、ユニークな啓発活動も行っています。さらに、事業所や部署単位で実施できる15分程度のQ&A方式研修の資料をイントラネットで提供し、社員が主体的に学べる機会を創出しています。
参考:「CSR推進の一環として対策を実践」 ― リンテック株式会社
事例4:株式会社タイヨー(スーパーマーケット) – 労使一体となったコミュニケーション改善運動
かつての「職人気質」の文化からの脱却を目指し、労働組合と会社が一体となって対策に取り組んでいます。全従業員対象のアンケートで「コミュニケーション不足」が根本課題であると特定し、全社レベルの運動「フレンドリーサービス」を立ち上げました。これは、顧客だけでなく従業員同士でもきちんと挨拶ができるよう自身を鍛え直す運動で、役員や社長が率先して始業前に「フレンドリー握手」を実施。この取り組みにより、部署間の壁がなくなり、社内の風通しが改善され、結果としてハラスメントの減少につながっているといいます。
参考:「労使がひとつになって取組むパワハラ対策」 ― ㈱タイヨー
事例5:JFEスチール株式会社 – トップの強いメッセージと人権尊重の意識改革
経営トップからの「全ての社員が、家に帰れば自慢の娘であり、息子であり、尊敬されるべきお父さん、お母さんだ。そんな人たちを、職場のハラスメントなんかで、苦しめていいわけがないだろう」という強いメッセージを、毎年リーフレットにして社員とその家族に配布。人権尊重を全ての基盤と位置づけ、研修ではパワハラの行為類型と人権侵害行為との同質性を認識させ、その重大さを伝えています。「こんな職場ってどうよ」という身近な事例を用いたグループディスカッションを通じて、社員一人ひとりが当事者意識を持つことを促しています。
参考:パワハラ防止に向けての職場づくりについて―JFEスチール株式会社
これらの事例に共通するのは、ハラスメントを単なるルール違反として捉えるのではなく、企業理念の実践やコミュニケーションの活性化といった、より本質的でポジティブな職場づくりの一環として位置付けている点です。
まとめ
本記事では、ハラスメントの定義から国内の発生状況、具体的なNG行動例、そして企業が構築すべき防止体制と先進企業の事例までを解説しました。厚生労働省の調査によれば、多くの企業でハラスメント相談が寄せられる一方、被害者の多くが「解決にならない」と感じ声を上げられずにいる深刻な実態があります。
ハラスメント対策は、法改正に対応するための守りの一手ではありません。それは、従業員一人ひとりが尊重され、安心して能力を最大限に発揮できる職場環境を築くための、攻めの経営戦略です。本記事で得た知識を基に、貴社のコンプライアンス体制を今一度見直し、全ての従業員にとってより良い職場環境を構築するための一歩を踏み出してください。